フレンチクオーターは洪水の被害は免れているが、これはフランスの植民地だった時代に、洪水にあわないようにちゃんとちょっとだけ高台に作ったのだそうだ。アレほど毎晩毎晩賑わい、ジャズの音色にあふれていた街が、いまや退去を拒否する200人の人々が缶詰とローソクの火で生活をし、陸軍の兵士が機関銃を持って歩き回っているのだ。
そんな中、営業しているバーが1軒だけあった。周りの飲食店が在庫を全部残して店主らが去っていったので、その200人のために営業し、なおかつ食料の配布や怪我の手当もしているとのことだ。
NHK「クローズアップ現代」の「巨大ハリケーンの衝撃」は、1時間10分にわたってみっちり詰まった内容だった。ハリケーンの最中の人々の行動、被災者の悲惨な現状、高波に破壊された Biloxi の街、FEMA の初動と対応が遅れた原因となった組織の弱体化、その FEMA を骨抜きにしたイラク戦争とブッシュ政権の方針、アメリカと世界経済に与える影響、今後とるべき道・・・
この重要な番組の感想はまた別途かいつまんで述べたいが、とにかく「明日はわが身」なんていってる場合じゃない、と心底震える思いがした。
以前の楽しいジャズの街だった時のフレンチクオーターのバーボンストリートの映像も映った。その直後に、廃墟と化した、ニューオーリンズの映像。いまだ街のほとんどが水没し、水は腐って悪臭を放ち、バクテリアや有毒物がはびこる。車椅子の上で死んでいく老人、母親に抱かれて死んでいく赤ん坊。略奪し、警官との射ち合い。生き分かれた家族を探す人々。水没した自宅にへばりついて米兵や警官と言い争う人。そして職場放棄する警官や復旧要員。
なんてこった・・・
何度も書いているが、ニューオーリンズには本当に楽しい思い出しかない。ジャズやブルースなどの音楽が大好きな自分は、2度はジャズフェスティバルに、1度は仕事で訪れている。それぞれ1週間ほど滞在したが、仕事で行ったときも、とにかく夜はジャズやブルース三昧だった。本当に楽しい時間だった。
ジャズ、と言うか最近では映画「スウィングガールズ」でもおなじみのスウィングジャズやデキシーランド・ジャズの発祥の地であるニューオーリンズ。長い黒人奴隷制度の中から生まれてきた音楽だ。でもビッグバンドもコンボも、妙に明るく、楽しいメロディやリフを奏でる。
これは、ニューオーリンズのジャズが育った一端が、独特のスタイルの葬式とそのパレード、つまり葬送にあったからだ。
日本ルイ・アームストロング協会掲示板
[239] Flee as a Bird と Oh,Didn't he Ramble 投稿者:外山喜雄 投稿日:2004/03/11(Thu) 00:11
“ジャズの故郷、ニューオリンズで演奏されているデキシーランド・ジャズは、もともとニューオリンズの黒人たちのお葬式の後、踊りながら帰ってくる時の音楽でした。黒人の人たちは、手に手に飾り立てた日傘を持ち、着飾って、自慢のステップを踏みながら、“天国に召されてこの世の苦しみは終わったぜ、ブラザー”、とばかり踊り狂う。ニューオリンズの黒人のブラザー達の強烈なリズムと躍動感が、世界を虜にし、20世紀のアメリカを代表する音楽となったジャズの根底に脈打っている!!
※参考 : 日本ルイ・アームストロング協会公式ウェブサイト「Jazz Funeral」
ずいぶん昔に日本で、この葬式とパレードをテーマとして取り上げたCMもあった(たしかオーディオ製品関係のものだったと記憶している)。
「生きているときは辛い事ばかりだったんだから、死んだときくらい、楽しく陽気に天国に送ってやろうじゃないか」今のこの状況じゃ、そんな気持ちさえ起こらないい・・・のか。
でもすでに1週間以上極限状態にある今こそ、胸に手を当てて深呼吸し、音楽などで少しは和んだりしないと、もう精神的に持たないかもしれない。そろそろ、避難所の人たちにそういうものを提供してあげるのも必要かも・・・
この掲示板のカトリーナ後の最新の書き込みや、「緊急提言 : ジャズの故郷 ニューオリンズを救おう」もぜひ読んでいただきたい。現地に向かった人もいるし、チャリティーコンサートを日本でやろうと言う人たちもいる。
CNNの全米調査では、「ニューオーリンズは復興できない」という人が56%もいたらしい(マメリカオンラインさんのトラックバックより)。でも、こんなのは所詮は被害と直接関係ない他の地方の人らが言ってるだけだと思うし、インタビューでも、何人も「この町を必ず復興してみせる」と力強く語っている人も多かった。
先ほど、地元テレビ局の 4WWL の生中継を見ていたら、ニューオーリンズからミシシッピ川をはさんだすぐ隣の Gretna という街の Arthur Lawson という警察署長(黒人)がインタビューに答えていたが、その中で、
「(10月7-9日の3日間開かれる予定だった)Gretna Heritage Festival は、できれば予定通りやりたいよ。6ステージを設営する予定だったが、大幅に縮小してもいいから、何かやるべきだ!」と力強く語っていた。フェスティバルのサイトを見ると、
Gretna Heritage Festival Status is being evaluated.と、中止するかどうか検討中のようだし、直接の運営者ではない警察の人の言うことなのでアレなのだが、とにかく
「俺たちゃニューオーリンズっ子だぜ! ジャズやるべ!」というような、力強い言葉だった。テレビのキャスターたちもほっとした表情になった。
実際は、もうそんなことでも考えないと現場はやってられない精神状態なのかもしれないけど、ここは「俺たちの町を何とか復活させよう!」という意気込みと受け取りたい。
New Orleans Jazz & Heritage Festival(来年のゴールデンウィークの頃)も、場所とか変えてもいいから、復興資金造成のためにも、ニューオーリンズの人たちが元気を出すためにも、場所もどこでもいいから何らかの形で開催してもらえないかと思う。
もし開かれるのなら、何年ぶりかになるが、なんとか万難を排してぜひ行きたい。そして復興の専門家でもない自分ができる範囲で、少しでも現地の復興の助けになればと思う。
そんなことを思い考えている間に、4WWL で OPRAH が始まった(国民的な人気のある黒人女性の司会者 Oprah Winfrey のTVショー)。
数万人の被災者が煮詰まった時を過ごすヒューストンのアストロドームで泣き叫ぶ人々に話を聞く Oprah Winfrey、Julia Roberts、John Travolta。野戦病院さながらになっているルイ・アームストロング空港の悲惨な状況をレポートする医師「人生観が変わったよ」。町中に転がる死体を踏み越えて避難し、いまだ硬い表情が直らない子供。
とても正視できない。
Oprah の締めの言葉。
「彼らのことを被災者(refugee)と呼ぶのは止めよう。
生存者(survivor)と呼ぼう」
現地で演奏されたんだったら、一般が感じるよりもずっとずっと痛ましい災害でしたね。
デキシーランドジャズの由来、初めて知りました。私は行ったことないのですが、街のイメージが自分にとってすごくいいものでした。あんな水浸しの風景に変わってしまったのが残念でなりません。
オプラさんのセリフ、まさにサバイバーですね。誰も助けてくれなかったんだから、自力で生き延びた人たちです。サバイバーのためにも復興に向けて、小さくてもできる事をしたいなあと思っています。
いえいえ、ジャズマンだなんてとんでもない。聞く専門のファンですよ ^^; 仕事もジャズとは関係ありません ^^;
日本ではたとえば京都が他の街とは一線を画しているように、ニューオーリンズはアメリカの中でもほんとに他とは全く違う街です。あそこだけが違うんです。それが失われてしまうなんて・・・ことがないように、自分も小さくても具体的に行動したいと思っています。